2010アイアンマンハワイワールドチャンピオンシップ観戦記
----カ・アフマヌ女王の爵位授与式----


〜マッキーズ ふうさん(槇本 深)〜

Kailua-Kona, Hawaii
October 9, 2010
2.4 mile swim / 112 mile bike / 26.2 mile run


函館から参加した選手の記録

名前 総合タイム 年代別順位 SWIM BIKE RUN
赤浜 浩二 11:01:35 10 1:14:13 6:04:14 3:32:48
槇本 美恵子 14:49:57 30 2:15:39 7:37:07 4:47:11
冨田 訓司 15:44:56 4 1:51:36 7:29:22 6:06:54

OVERALL RESULTS

マッキーのレポート


2010
106日水曜日


マッキーと冨田さんがハワイに出発。選手はこの日に出発するのがよい。
出来たらもう一日前に出発すると選手のパレードがある。これに浴衣でも着てでれば受けると思う。


10
7日木曜日

私ふうさんの出発夜のに成田発。
同日9:45ころにハワイ島コナに到着。

同日昼の2:00まで受付をしているのでこの日到着でも間に合わないことは無い。
ぎりぎりセーフだろう、だが時差疲れをとって万全の体調でレースに臨むには水曜日到着が正解と思った。

冨田さんとマッキーが空港に出迎え。
バイクのためし乗りをかねている。
ここでは違和感無く快適だったらしい。

バイクショーツを本番で換えて、パッドの厚みが薄くなった分相対的にサドル高が低くなった。
試し乗りは、ウエアも含めて本番仕様でというのが教訓の一つ。

グッディツアーの車で一路コナへ。
走るのはもちろんクイーンK(アイアンマンレースの主要舞台となる道路)。
GoogleEarth
で十分に下見をしていたので、ナチュラルエナージラボラトリの曲がり角もすぐにわかった。

ここはランの折り返し場所。明日でも下見してこよう。

スタート、ゴール、トランジッションとすべて一箇所の便利な配置。キングカメハメハホテルが本部になっている。

その道路向かいにあるシーサイドホテルが今回の宿。部屋も広く、会場もすぐ傍でとても便利。

昼飯を冨田夫妻と一緒に4人でとる。エキスポをのぞいてみる。
本部ホテル内のエキスポ以外にコナの街で普段はみやげ物などを売っている店が臨時エキスポに早代わりし、アスリートグッズを並べている。いろいろと見て周り、物色をする。

噂では、用意した水着は使用禁止で急遽ルール適合の水着で、しかも多少とも水の滑りが良く、浮いて泳ぎやすいものを求めなければならない。

マッキーは迷う。店員が、これは大丈夫とTYRのものを勧める。見た目、もってきた禁止の水着となんら変わり無く見える。
もっと調べて明日の競技説明会を聴いてからにしよう。

その後、スイム会場で試し泳ぎ。水は透明度高く、底が良く見える。
熱帯魚が群れをなして泳いでいるのが見えて癒される。湾の中で波も静か。
水温はぬるからず、冷たからずちょうど良い快適温度。
スイムはウェットスーツ禁止、またウェットスーツまがいのスイムスーツも禁止となったらしい。


スイムコース。1周回の雄大なコース。折り返しのブイはかすんで点にしか見えない。

沖に行くと少し波風がある。

レース当日は沖から岸の方向に風が吹いていた。このような時は、行きが遅く、帰りは早くなる。

海から上がり、一人でコースの下見に行く。選手ではないがバイクを持ってきた。
チャンピオンシップのコースを少しでも見ておきたいと思った。



バイクコース。

まず、クイーンKの反対側。
コナの街を基点として、東南に向かい、コナに戻りクイーンKに出て西に向かう。

バイクもランも西北レッグと東南レッグがある。
西北レッグが長大で、東南レッグはおまけのようなものにも思えるが、是非みておきたい。
今日は時間が少ないので、おまけの東南レッグを見ることにした。

まず、バイクコースを見る。スイムを上がったら、クアキニ通りを西に1.1kmマカラ通りを北上1kmクイーンKを東に1.2km
パラニ通りを570m南下してクアキニ通りに戻り東南に向かう。

5km先にクイーンKとの合流点がありそこが折り返し。パラニ通りとの合流点に戻り、パラニ通りを北上。
クイーンKに入り、西北に向かう。

ここまで13.8km。バイクではすぐの距離。アプローチのようなもの。ここから100マイルの長い長い旅が始まる。


今度はランの東南レッグの探訪。

クアキニ通りを800m東にいってすぐにフアラライ通りを240m南下。アリドライブにでる。
アリドライブを東南に5マイル(8kmと少し)で、ケアウホウという海水浴場のところで折り返し。

アリドライブフアラライ通りパラニ通りクイーンKと行ってここまで約17km。クイーンKから25kmの西レッグに向かう。
以上を探訪してみた。

ランの東南レッグは高級住宅街。おしゃれな高級住宅が立ち並ぶ。木が多く、日陰もある。
芝庭などもあり、応援も多く、癒される感じ。

西オーストラリアのランコースと似た感じ。
ずっとこうならいいのだが、こちらは往復で17km余り。
あと25kmは荒涼としたクイーンKを走る。
明日はクイーンKを見てみよう。


コナの街。バイクコースランコースが入り組むところ。コース図とあわせて見てください。


パラニ通り。560m登るとクイーンKに出る。


マカラ通り。バイクのスタート時の顔見世迂回コースであり、バイクゴールの時もここに入ってくる。


ラン東南レッグ折り返し点。右手にケアホウ海水浴場がある。

夜はカーボパーティ。


滝さんと冨田さん。二人ともチャンピオンシップ常連のつわもの。

カーボパーティはビールも無く、ソフトドリンクのみ。食事も文字通りカーボローディング用で、肉魚はわずか。とても質素だった。

選手は参加費に含まれているが、同伴者は55ドル取られる。
まあ、アトラクションは豪華でショーをみに来たと思えばかろうじてリーズナブルか。

ここで飛行機での寝不足と、時差疲れがどっと押し寄せる。
ほんとはいろんな人と話せるいい機会なのだが、睡魔が襲う。時々船を漕いで、かろうじて起きている。

パーティが終わり、ホテルに戻りバタンキューと眠った。
選手でないのでプレッシャーが無く、実に良く眠れた。


10
8日金曜日

今日は競技説明会と、バイクなどの競技用品の預託がある。

競技説明会で水着の説明を受ける。
役員らしき人を2人ほどつかまえ、手持ちの水着をみせてきいてみたが不可との事。
キングカメハメハホテル内のメインエキスポでTYRの水着を買うことにした。

禁止水着はゴム質のコートがしてある。引っ張っても線維が見えない。
TYRの水着は、引っ張ると線維が分かれて見える。
線維の一本一本にコーティングしているのだ。

ここがルール適合かどうかの分かれ目らしい。
あと膝上まで。首下まで。というのもルールの分かれ目らしい。

水をかけると水玉が転がる。水のすべりが良い。手持ちの水着と効果は同じ。
そしてなによりTYRは今回のレースのスポンサーに名前を連ねている。

よし買った。
女性用Sサイズが1着だけ残っていた。350ドル
マッキーが、街のショップで同じものが250ドルであったという。

しかしレース前日。また雑踏の中を歩き回って、果たして合うサイズが見つかるか?
この店でも、あうサイズはこれ一着しかない。売り切れたら終わり。
即決で決める。

あと決戦ウエアを物色する。
猛烈な日差しがあるので白っぽいウエアが有利。ノースリーブは避ける。
半そでで、日焼け止めクリームを併用する。
白っぽくておしゃれなバイクウェアを見つける。
これで一安心。

マッキーは買い物の時優柔不断で困る。後押しを入れないと買えない。


ウェットスーツ禁止といっても、ルール適合の最善の水着を着用しなければ損。
万一最善の水着でなく、わずかの遅れでタイムアウト失格となれば悔やんでも悔やみきれない。

これで、気は済んだ。一人でクイーンKを見に行こう。

本当は朝早く出発して、ハワイ70.3の基点となるワイコロアビレッジのところで折り返す予定だった。
そこから先は70.3に出ているので知っている。

遅くなったので、その手前、適当なところで折り返すことにした。
ホテル前の坂を上がり(パラニ通り)クイーンKに出る。広い道路。

1車線に相当する幅広い路肩があり、バイク専用に用意されている。
そしていたるところにathlete in trainingの標識がある。
左折レーンでは、自転車を優先することと注意書きがある。
ironman athlete in training bike
など自転車の走行を注意する標識が多い。


競技用自転車を保護する標識。ありがたいです。日本の道路でもやって欲しい。
1
車線に相当する広い路肩にも注目。自転車天国です。競技で交通規制している時はもちろん、普段でもとても走りやすい。

ドライバーも幅寄せやクラクションなどの意地悪はしない。
親指を立ててガンバレのサインを送ってくれるドライバもいる。
とても走りやすい。

確かに単調な一本道で、溶岩台地の灼熱の中平らなところはほとんど無く、だらだらのアップダウンを繰り返す。
果てしなく前が見えて、遠くには蜃気楼の逃げ水が揺れている。


かげろうと逃げ水のクイーンK


選手もためし乗りをしている。
試合の前日だろう。いいのかな?と思う。


ものすごい倍くらいのスピードで抜いていく。
まあトップ選手は8時間少々でレースを終わる。
こちらはもし出れば17時間ぎりぎりかかる。むべなるかな。と納得する。

単調に見える溶岩台地の一本道だがからりと晴れたきれいな空。
風になびくわずかな草木。
それを敏感に感じて、ペダルの重さの変化を計りギアチェンジする。
自転車にやさしいドライバー達。かっこよい選手達の疾走。左手を見るときれいな海が遠くに見下ろせる。

クイーンKは海岸ぎりぎりではなく、だいたい標高30mから100mくらいのところに作られている。

予想される最大の津波の被害にあってもライフラインとして保たれることを意図している。

いたるところにある、津波非難区域の標識。

クイーンKにでて3.7kくらいで、おしゃれなハーバーがある。
トローリングのクルーザーが主で、とってもハイソな雰囲気。
この中のレストランは新鮮なマグロ料理で絶品らしい。


マリーナ入口。

今度行ってみよう。
10.5km
でエナージラボに到着。


ここは風力や、光エネルギーを利用する研究所。
他にも深層水のミネラルウォータを作る工場もあった。
クイーンKから1.5km入ると海岸に到達。


小さな海水浴場があった。
ここを右折して数百メートル行ったところにランの折り返しがある。
突き当たりは研究所。


つきあたりの研究所。ここまではこないで折り返します。

標高差は38m。たいした勾配ではない。
ランの後半、つかれきった身体にはこたえるらしい。
ここで歩く人が多いという話だ。


エナージラボ周辺地図。ここがラン西北レッグの折り返しになる。一番きついところといわれている。

あとで知ったが、選手に渡された書類の中で、エナージラボは私有地なので、レース当日以外立ち入らないようにという注意書きがあった。
無断立ち入りでトラブルを起こした場合、失格にするとまで書いてあった。

もう行きません。ごめんなさい。

・・・とすれば撮ってきた写真はとても貴重ですね。

12kmくらいでコナ国際空港
23.5kmフアラライリゾートがある。

ここは入ったことは無いが、とても豪華なリゾートのようだ。
エントランス付近の道路を少し走って戻る。そろそろ戻らないと、夕食の時間に間に合わない。選手を待たせてはいけない。
早めに帰って待機しておく必要がある。引き返す。

43.5
km、あと20kmクイーンKを北上すれば70.3の基点となるワイコロアビレッジだ。
この20kmだけが未知の区域として残った。


途中ハンバーガショップで昼飯を食べる。ホテルに帰る。

マッキーは新しい水着を着て試泳したようだ。毎日2回ずつ泳いでいる。少しでもオープンウォータに慣れるのはいいことだ。


それからバイクの預託。預託も選手以外は入れない。

花道のようなところをバイクを引いて続々と選手が歩いていく。
ここにも見物人が大勢いる。まるで出征兵士を送るパレードのよう。

入り口でCEEPOのスタッフが、CEEPOのバイクに乗っている人の写真を撮っていた。
CEEPOのバイクを見つけるととてもうれしそうだった。

マッキーも最近愛車となったVIXENとツーショットVIXENて女狐という意味なのです。


冨田夫妻と4人で寿司を食べに行く。
すし屋でおにぎりを握ってもらい当日の朝食とする。
前日夕方と当日朝、たっぷりと米の飯を食べておく。

早めにお休みなさい。


10月9日土曜日
朝5時起床。
マッキーはおにぎりを食べる。


出陣まえの腹ごしらえ。

ほか、いろいろなものを食べる食べる。
そして、キングカメハメハホテルの裏より選手入場口に行く。
ここでお別れ。

入り口ゲートで待機して、プレスイムグッズとエアーポンプを回収する。


だんだんと夜が明けてくる。
スタートの7時が近づいてきた。スイム会場の海岸は黒山の人だかり。海が全く見えない。
ようやく、道路向かいに登れる塀を見つけてよじ登り、やっと海が見えた。

フローティングスタートだ。


スイムスタート前。スタートラインに向かう選手達。

上位選手は早々とスタートラインに着いて立ち泳ぎをして待機している。

立ち泳ぎの苦手なマッキーはきっと丘にいるのだろう。
時計を持っているので、2分前から泳ぎ始め最後尾に着いたところで号砲がなる。この予定だ。

アメリカ国歌の斉唱がたからかに響く。終わるとカウントダウン。
そして大砲の音が鳴り、スタート!!

だれがだれだかわからない。
丘から今海に入って、150m後からようやくスタートしているものもいる。
なんとまあ、最初から150mも損している。5分近くの損。

あれがマッキーでないことを祈る。

ホテルのレストランに入り朝食をとる。テラスから海が見える。
朝食が終わり、一息ついている頃、もうトップが帰ってきた。

8時20分頃、はるか遠くに、カヌーやサーフボードの一群が蟻のように見える。
やっと折り返したばかりという距離。

レストランを出て、海辺に行く。
人垣の隙間を見つけて目を凝らして遠くの一点を見つめる。
次々と選手達がスイムゴールしてくる。

9時になった。最後尾と思われる群れは、まだ500-600m位向こうだ。
ぎりぎりだ。あの中にいるに違いない。

9時12分頃、やっとマッキーらしき影を確認。ずっと目で追う。
あわただしく、距離の目測と、スピードの割り算を繰り返す。やはりぎりぎり。
9時16分ようやくゴールした。

アナウンスでもマッキーのゼッケン番号と名前を読み上げていた。これで大丈夫。

今度はすぐにホテルの裏に回り、クアキニ通りとパラニ通りの交差点に行く。
まもなくマッキーがバイクで登場。ここで待っているとあと2回見れる。

10分後くらいに、一回りして東南レッグへ。30分弱で戻ってきて、パラニ通りを上がる。
あわてるな、ゆっくり行け。と声を掛ける。いよいよクイーンKだ。

ついに女王様に拝謁がかなった。良かった良かった。行ってらっしゃい。

愛車CEEPO VIXEN(女狐)が疾走した。戦友の女狐ちゃんも、女王に拝謁。
もう6時間は帰ってこない。

そこでコナ周辺をサイクリング探訪した。アリドライブはまだ交通規制がかかっていない。
トップ選手が帰ってくる少し前に交通規制が入る。
後は夜中まで閉鎖される。今のうちだ。

アリドライブを東へ。
折り返しのケアホウ海水浴場公園を越えて、進む。
出来たらとなりのキャプテンクックという街まで行ってみたかった。
途中、車のみ、バイクと歩行は禁止というバイパスにかかる。
海へ降りる道路で迂回できると思い降りていく。


迂回路。行き止まりだったが景色が良かったので許す。

途中溶岩でふさがれていた。
山を登って迂回するのはやめて、ここから引き返し、クイーンKの東側の道路を行く。
途中展望台などがあり絶景だった。

この道路はカメハメハ3世という名前がついていた。
コナの街に戻り昼飯。清司の寿司という店に入る。


この左手奥におすし屋さん。

この店です。


手前はカリフォルニアロール。アボガドを巻いたもの。しめて9ドル95セント

アリドライブ沿いの店。
寿司セットが9ドル95セントと安い。味も良かった。

他にもてんぷらやカツどん、そば、うどんなどの料理を出している。
日本食が恋しくなったらここが良い。
値段もリーズナブル。昨夜前日の腹ごしらえに行った店もお寿司屋さん。そちらは少し高級か。フアラライ通りにある。味にうるさい人も満足できる。

こちらアリドライブの寿司屋さんは大衆的で安い。私ならこちらで充分うまかった。


あとはアリドライブを散歩してすごす。ともかくお祭り騒ぎでにぎやか。コナはアイアンマン一色に染まっている。
16時前からクアキニ通りでバイクの帰りを待つ。

16時28分冨田さんが帰ってきた。

16時50分マッキーが帰ってきた。


バイクから帰って来たマッキー。元気いっぱいだ。ピンクのVIXENが映える。

今度はランスタート。


元気いっぱいランスタート。

ホテル前のクアキニ通りで見ていれば、
スタート直後と東レッグの帰りと2度見ることが出来る。

19時台に二人とも東レッグから帰ってきた。
さあ長くて暗いクイーンKをあと25km。時間は十分ある。まず大丈夫だろう。

21時40分ころマッキーが帰ってきた。
21時47分ゴール!!

「Mieko Makimoto You are an ironman!」の掛け声をしっかりと聴き取った。

マッキーはホテルに帰りシャワーを浴びて食事を取った後コテンとすぐに眠った。
ふつう興奮して眠れないのが普通なのに。これがマッキーの強さなのかも知れない。

ふうさんは伝説のカウントダウンを見に再びゴール近くへ出かける。
人が増えている。歓声を上げ、ディスコダンスを踊り、ほんとににぎやか。

真昼のような照明。DJのアナウンス。大音響のミュージック。

ぎっちりと隙間無く埋め尽くされた人また人。みんな乗りよくうたったり踊ったりしながらゴールを待っている。
時々入ってくるゴールに大歓声、ゴールする人は英雄の凱旋として大歓声で迎えられる。

頑張る人間を、なんのテレもなく、陽気に心から祝福する。フェアで陽気なアメリカ人。
ここにいるといやでもアメリカが好きになっていく。

男女のトップ選手が、ゴールした人に祝福のレイをかけている。
この時間帯のゴールは間隔が結構あいているので一人一人のプロフィールを詳しくアナウンスしている。

心臓の手術を2回受けたとか、癌の4期で闘病中とかそんなエピソードも語られる。
そういった人々も栄光のゴールをくぐる。

後1分になった。
そのとき60台後半の女性の選手が走ってきた。まだ結構距離がある。もたつくとタイムアウトだ。
悲鳴とも歓声ともつかないどよめきが起きる。しっかりした足取りで駆けていく。

DJのゆっくり一言ずつ区切って言う、「You are an ironman!の掛け声が聞こえた。
間に合った。
この一言はほんとに重みがある。特にコナでは。

大歓声、そしてカウントダウン
夜中の0時
終わった。

ゴールゲートの中でハワイアンの火の踊りが始まる。それが見送りのダンスだ。
三々五々観衆は帰路に着いていった。


10月10日日曜日
今日はリラックスデー。
朝食後スイムコースの4分の1くらいを泳いでみる。
きれいな海。魚の群れ。

湾内は静かだが、遠くに行くと結構波があったそうな。
ここで、腕をくらげにちくりと刺される。結構ピリピリするのでマーケットに酢を買いに行った。

250ml
くらいの瓶だが、使うのは10mlくらい。もったいないと話していた。
しかし後でもったいどころか、フルに使うことになるとは夢にも思わなかった。

街を散歩する。
アメリカは平等社会だが、コナで、この日だけは身分社会だ。完走TシャツのFinisherの文字がまぶしく輝く。
いく先々でCongratulation!と祝福と賞賛の声がかかる。

浮世の地位とは関係なく、この日完走Tシャツを着ているものは、爵位を持った貴族のごとく敬われる。


ホテルの入り口で、ケアホウ行きのツアーバスがちょうど出発するところ。急いで仲間に入れてもらう。

ラン東レッグ折り返しのところにある海水浴場。300mくらいのサンゴ礁。
実はハワイにはサンゴ礁は少なく貴重なのです。

深海から巨大な大火山がせりあがって、海に突き出ているのがハワイ諸島。
ヒマラヤ山脈の上半分が海に出ている感じ。海岸から山の斜面として急に深くなる。
遠浅の部分は少ない。だから大きなサンゴ礁はできにくい。
海がめを見たり、魚の群れを見たりして遊ぶ。

冨田3姉妹も一緒。みんな美人だ。

さんご礁の中はほとんど背が届くが、ちょっとだけ深いところもある。そこでマッキーが溺れるといって騒ぐ。
海の底に小さな岩礁を見つけそこに立って支えようとした。
足裏に走る激痛!ウニを踏んでしまった!はりねずみのように足裏にとげが刺さっている。
抜こうとしたらポキンと折れる。

何とか岸に戻り、ライフガードに話を聴く。抜くのは不可能。
そのまま吸収されるのを待つだけ。

2−3時間激痛が続くがその後は我慢できるくらいに和らぐ。すぐに酢に漬けると症状が軽くなり、治りが早い。
治るのには約10日かかる。以上の情報を得た。

地元の30歳台と思われるペアが病院にいかないと大変なことになる。
今晩高熱を出し、明日には足が倍に膨れ上がる。
下手をすると足を切断しなければならなくなる。こういって真顔で脅かす。

まじめそうな風貌なのでからかっているのではなさそうだ。大いに動揺した。
グッディツアーの武藤さんが迎えに来た。
武藤さんは経験豊富で、ツアー客がこのような目にあったのを何度も見ている。

武藤さんのアドバイスでライフガードの情報が正しいことが確認できた。
ゆっくりしてからホテルに帰る予定だったが、早めに酢の治療を始めたい。

冨田姉妹が順番を譲ってくれて先に帰ることになった。

ホテルに帰ってから、足を酢につけて30分ほど、ふやけるほどになるまで漬ける。
するとあら不思議、折れて皮膚から飛び出していた棘が全部溶けてなくなっている。
ふやけた部分の棘が全部溶けて深いところだけ残っている。
痛みも随分軽くなった。やはり酢は特効薬だ。

クラゲに刺されて買った酢がフルに役に立つことになった。
後日だんだんと深いところの棘は浅いほうに浮き出てきた。
これを酢でうるかせて溶かす。これを繰り返して少しずつよくなっていった。
ライフガードが話したとおりの経過をとった。

夜はアワードパーティ。
刺されたほうの足のかかとを着かないよう、つま先歩きでひょこひょこしながら歩く。
あの、道を譲ったりしていただかなくてもよろしいんですけど。
障害者じゃないんだけどな。脳梗塞後遺症じゃないんですけど。

説明するのも面倒。
米国人は、ハンデのあるものに道を譲るとか、荷物を持ってあげるとか、手を貸すとか、そういったマナーが非常に良く身についている。
普通に歩くと結構痛いし、ひょこひょこ歩きは間違われるし、とても困った。

アワードパーティはビールも出るし、肉類も出る。カーボパーティよりはずっとまし。
華やかなショウタイムが続く。

その間に腹ごしらえ。そして表彰式が始まった。
エイジグループの若い方から始まった。5位までが表彰台にあがる。
まあそろいもそろって美男美女が出てくる。

女性はまさにハイビスカス。男性はイケメン。スタイルはもちろん良い。
そのままスターにしても十分に通用する。
おまけに立ち居振る舞いも立派でとても知性的な感じ。

天は2物も3物も与える。まあ親からもらった顔だけでなく自分で作った顔もあるだろう。
ここまで、何かを極めた人間はおのずと内面から美しさを醸し出す。

ずっと欧米人のみ表彰台に上がっていたが、台湾の女性が一人、日本人の40台の男性が一人表彰台に上がっていたのが快挙だった。

高齢者の部に入ると日本人が活躍する。
冨田さんはM75−79のカテゴリで第4位。
みごとに表彰台に立った。
9人出場も完走できたのはわずか4名。
完走即表彰台であった。

1位は小島さん、3位に遠藤さんが入る。
4人中3人がなんと日本人。
日本の長寿パワーを見せつけた格好になった。


表彰台に向かう冨田さん。

M75カテゴリの表彰。右から、チャンピオンの小島さん。冨田さん。遠藤さん。4人中3人を日本人が占める快挙だった。

しかし、80歳がいたたった一人。
名簿をみると科学者。背筋がしゃんと伸びて、声も力強い。
結構長いスピーチがあった。
女性も75歳の完走者がいて表彰され、スピーチをした。


女性75歳の完走者。

この二人には特に大きな拍手が送られた。
総合優勝した男女のプロ選手に対するよりも大きな拍手だった。80歳の完走は久しぶりらしい。
歴代でも珍しい。
毎年出場してはいるがほとんど完走には至らない。
女子75歳も同じ。

彼らのパワーを見習い、現役をできるだけ長く続けてやろう。
競技でも人生でもと誓う。


10月11日月曜日
この日はホノルルに移動。


冨田3姉妹。そろって美人です。ホノルル空港で。

去年も泊ったジョイホテルに泊まる。

冨田姉妹が子供つれだったので広い部屋を割り当ててあった。

我々も相伴にあずかり、通常料金なのにスイートルーム。しばし部屋でまったりと過ごす。
デューティーフリーショップの裏手にある。

いまさら免税店で買い物をする気はしないが、ワイキキトロリーバスのバスセンターがショップの一階にある。
あらためてジョイホテルのロケーションの良さを再認識した。

ワイキキトロリーバスは3系統ある。
ダイアモンドヘッドやカハラ方面(東)。ショッピング市内巡回(中央)。ダウンタウンと史跡めぐり(西)。

ちょうどカハラ方面行きが来たので乗る。
ダイヤモンドヘッドは初めてで新鮮だった。

夜は、ジョイホテル支配人のワンさんが、夜はギャルソンを務めている中華料理店。KIRINレストランに行く。
ワンさんがすべてお任せでてきぱきと料理とお酒を決めてくれる。
面倒がなくて良い。しかもおいしい。

ワンさんの計らいで帰りは豪華なリムジンでホテルに帰る。


リムジンです。

とても良いホテルで部屋も広く清潔。
言うことなしなのだが、道路向かいに変な飲み屋があり、夜通し大音量で音楽を鳴らしている。
冨田姉妹は眠れなかったそうだ。

わたしはコテンと寝ていた。

今回の旅はファンケル快眠サプリを飲んでいた。じつによく効いた。


10月12日火曜日
午前中はトロリーバスで西方面を回る。
チャイナタウンでおりて、探訪し冨田さんがずっと前に行ったことがあるという中華料理屋に行ってみた。
とてもうまい。

中華料理はなぜか、本場の中国よりも日本やハワイのほうがうまいのはどういうことだろうか?
などと考える。たぶん水のせいだろうと思います。

午後からはビーチでのんびり。夜はステーキレストラン。

ちょうど冨田姉妹のご主人も合流して達者な英語でてきぱきとオーダーしてもらい助かった。

自分ならお決まりのフィレを頼んだが、お勧めでリブステーキを食べてみた。
とてもうまかった。歯が丈夫ならぜったいにこちらがお勧め。

夜はワイキキメインストリートを散歩する。
ここは世界中のブランドショップが軒を連ねている華やかな通り。
見て回るだけで気分が華やかになる。

シャネルの店の前で「タマ、完走Tシャツを着た君は今一番美しい。」
「シャネルのドレスなんてかすんで見えるよ。」

ティファニーの前では「完走メダルはここのどの宝石よりも輝いているよ。」
しめしめうまくごまかせた。


10月13日水曜日
空路成田へ。昼間のフライト。元気がよいのでひたすら読書。


10月14日木曜日
夕方成田着。
冨田夫妻と神田の居酒屋で祝杯をあげ〆とする。
11時ころ寝たが、ハワイ時間なら朝の4時まで夜更かしをしたことになる。


10月15日金曜日
5時少し前に起きる。これでもハワイ時間朝10時まで寝坊できたことと同じ。
楽に起きれる。
夜更かしと寝坊で時差慣らし。

ハワイ帰りの時差慣らしはとても楽しい。
朝一番の飛行機で帰り勤務。

エピローグ:

クイーンKとは?

カイルア・コナの町から西に、そして北に海岸沿いに走るハイウェイ。
それがアイアンマンハワイ、ワールドチャンピオンシップのバイクコース主要部分。ランコースの主要部分でもある。

11
号線でクイーンカアフマヌ通り。略してクイーンKという愛称がついている。

カ・アフマヌ女王は、かの有名なカメハメハ大王の21人いた夫人の一人。
第一夫人ではなかったが、大王より一番愛されかつ信頼されていた夫人であった。
カメハメハ大王没後、幼い王子を補佐して実質女王として君臨した。
カメハメハ大王(在位1795-1819)は、ハワイ諸島全体を統一した初代王朝の始祖である。

当時ハワイは島ごとに群雄割拠していた。

そこへ黒船のように外国船がやってきた。
最初に来たのがキャプテンクック(1779)で、その後続々とやってきた。
平和で友好的な外国船もあれば好戦的でならずものの外国船もあった。

ボートを盗まれた報復に100人を超える若者を騙して殺戮した米国の軍艦があった。
カメハメハは、その軍艦を夜襲拿捕した。

軍艦と大砲火器を手に入れた。
激しい戦闘で大部分の軍艦乗組員を殺害したが、勇敢に戦った乗組員の命は助け軍事顧問として雇った。

その武力を背景にあっという間にハワイ諸島全土を征服した。
この戦闘で、米国の報復を受けることは無かった。

どのような外交交渉を行ったか?
どのようにして殺戮の応酬をした米国を味方につけ、他の列強の干渉を排除したのか?

彼に並外れて老獪な外交力があったと思われる。
勇猛果敢であったのはもちろん、老獪な外交、人心掌握の手腕、治世の知識を吸収する能力などにも優れていた。

列強諸国もその手腕に一目置き、独立国の国王として承認した。
カメハメハ大王の在位中は諸外国も干渉を控え独立は保たれた。

カメハメハ大王没後、幼い王子を補佐して、実質的に君臨したのがカ・アフマヌ女王だった。
二代目国王は女王の実子ではなかったが、公平に補佐したという。

迷信やタブーを排して国家の近代化に邁進した。
カプというハワイ諸島独特のタブーがあり、絶対的なものとして守られていた。
これを破ると火山の大噴火や嵐などの災いが及ぶとされ、違反者は殺害されたりもしていた。

カプを管理していたのが神官たちである。呪術を司る神官がカプを法として立法と司法を支配していた。
カ・アフマヌ女王は二つのカプを衆人環視のもとで破って見せた。

男性と同席して食事をすること、女性が食べてはいけないとされていたバナナとある種の魚を食べること。
みな恐れおののいたが、大噴火も地震も嵐も起こらなかった。
清朝の西太后と同じような立場であったが、西太后は守旧派の権化となり、カ・アフマヌは改革派の先鋒となったのが対照的だ。

旧習を廃され、不満たらたらとざわめいている神官どもの前に、王代行者のシンボルである槍を掲げたカ・アフマヌが登場すると水を打ったように静かになったという。

カ・アフマヌ女王はカメハメハ大王に勝るとも劣らぬ威厳を備えていた。
カ・アフマヌ女王は有能で在命中も独立は危なげなく保たれた。

有能な後継者も立派に育て、王国の将来は安泰と思われた。
しかし次の代になって当時のハワイ人には疫病に免疫がなく、特にはしか(麻疹)が猛威を振るった。成人のはしかは重症になりやすい。
次々と疫病に襲われ、人口が30万人から数万人に激減し、国力が衰えた。

また外遊中の国王皇后共にはしかで客死し王位が空白となり、後継者争いで内紛が起こったり、国力の衰えで国家財政の窮乏、対外債務が急増する、などの不運が重なった。


良港と肥沃な土地が次々と外国の所有(主に米国)になっていった。

結局5代目に米軍のクーデターが起こりハワイ王朝は消滅し、米国がハワイ州として併合することとなった。
無血クーデターなので、王族は死亡したわけではなく、いまでも末裔は生きている。したがって滅亡ではなく、消滅。

このとき最後の女王がアロハオエを作詞したのは有名である。
ハワイ王朝の消滅は、疫病による人口急減が主な原因であった。

決して王族が無能だったわけではない事を彼らの名誉のために確認しておこう。
(参考文献:池澤夏樹著 ハワイイ紀行 新潮文庫 2000年刊)

さて、クイーンKは、今はなきハワイ王朝の絶頂期に君臨したえらい女王様だということがわかった。
その女王の名前を冠した道路でアイアンマンワールドチャンピオンシップが行われている。

ハワイ王朝は無くなったが、現在でもハワイ島第一の幹線道路に名前を残し、女王は天国からアイアンマンという爵位の称号を与え続けている。

チャンピオンシップでこの道路を疾走することは女王に拝謁すること。

そして溶岩台地の灼熱とコナウインドの試練に耐え完走できれば、アイアンマンという称号を授けてもらえるのだ。

10月のコナ。
それは、女王カ・アフマヌが爵位を授けるお祭り。
完走したものはすべて凱旋した英雄。
ナイトの称号ならぬ、アイアンマンの称号が授けられる。
カウントダウンゴールを見たその夜、
宮殿でよろいを着てひざまずく私。

カアフマヌ女王が、刀を平らにして、私の肩のよろいにガチンと音を立てて打ち付ける。
ナイトになれた。

ネット画像のカアフマヌ女王は晩年のもので、あまり美しくない。
夢で見た女王は若くて妖艶、しなやかで美しく聡明で優しかった。
そんな夢を見た。
(この爵位授与式は中世ヨーロッパのものです。史実とは関係ありませんが、夢なのであしからず)。




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