小さな出来事

 私のいる国立療養所は6つの病棟(3つの病棟が筋ジストロフィー病院)があり、その他にリハビリを行う訓練棟、給食や洗濯等が入っているサービス棟、検査関係や薬局、外来診察、事務機関の入った棟などが廊下でつながっている。だから廊下の距離たるもの半端ではない。その事で不便さや大変さを感じる人も多いかも知れないが、私にとっては逆に嬉しい限りである。それは、出会う人に「こんにちはー」なんて声をかけたり、「久しぶりー」と以前私の病棟にいた職員と軽く会話を楽しんだりと、ちょっとした散歩感覚で電動車椅子を歩かせることが出来るからだ。
 
 その日もいつものごとく電動車椅子を歩かせた。正面玄関付近の外来診察待合い席には、4、5歳だと思われる女の子が一人、こっちを向いて座っていた。そしてその子は私に話しかけてきた。
「何食べてるの?」
どうやら私が呼吸するのにくわえている口パイプを言ってるようだ…。
私はその子に近寄り
「空気吸ってるんだよ」
と私が言うと、その子とんでもない質問をしてきた。
「どんな味?」
悩みながらも私は
「う〜ん、そうだね〜空気吸って吐いてごらん」
その子は深呼吸をした。
「スー ハー」
「どんな味がした?」
するとその子はニコニコしながら
「きもちい味」
「そんな味がするんだよ」
と私が言うとその子は立ち上がり、電動車椅子や後部の人工呼吸器をキョロキョロ見始めた。
そんなやりとりをしていると、外来診察室から赤ちゃんを抱いた女性が出て来た。するとその子は「ママ〜」と言いながら走っていった。
私は電動車椅子を反転させ病棟に戻ろうとした背後から
「あの兄ちゃん空気、おいちいいって…」という声が聞こえた…。

 ここの正面玄関付近の外来診察待合い場では、私の物々しい格好にいろんな反応をする子供に出くわす。目を丸くしてその場で固まっている子、ものに隠れながら見ている子、遠くでチョロチョロしながら見ている子など様々である。「怖いけど興味はある」という感じであろうか。
 しばらくするとそれは「怖さ」よりも「興味」が高まり、近づいてくる。そして子供特有の意表をつく「どうして節」が始まるのだ。
 しかしそこに至るまでには大きな壁かある。
「○○ちゃん、ダメでしょう。ジロジロ見ちゃ」…親の存在だ。時には「すみません。うちの子が…」と謝ってくる。
 こうなると子供は、私のような人を見ると怒られるし、いけないことなんだと思い、興味や好奇心は消えてしまう…。私としては悲しいことだ。
 今回私に話しかけてきた女の子は、一人で母親を待つ寂しさからか、以前に私を見かけたからなのかわからない。そしてもうすでに会話したことまで忘れてしまったかもしない。しかし、その子なりに知ろうとした小さな出来事は、私にとって嬉しかった出来事となった。
01.04.17


Episodeのトップページに戻る
ささやかだけど役に立つこと

 私にとって毎日の生活の中でお願いすることはあっても逆に頼まれたり、喜ばれることは少ない。それがつらいとかそんな訳ではないが、「ありがとう」なんて言われたら悪い気はしない。それに気づく出来事があった。
 私のいる国立療養所では毎年、数多くの人達が施設見学にやってくる。背広を着た人、医師や看護婦などの医療関係者…といった人達がたくさんやって来る。数年前までの私は、「見せ物じゃねェー」なんて思いつつもいたしかたなく愛想良く接していた。
 その時もいつものごとく見学がやってきた。遠巻きに「またかー」と眺めていたら、見知らぬ女性の何人かが私を見つけるなり「いゃー会えてよかった」と言い近づいてきたので、訳が分からず驚きを隠せなかった。
 聞くところによると、何年か前に私が気管切開からNIV(鼻マスクや口パイプを通して人工呼吸療法)に変更した時の看護研究発表を見て、それをきっかけにNIVを導入していった病院施設の人達だそうである。「ありがとうねー」と言われ、微笑みながら話をしている自分がそこにはあった事は言うまでもない…。
 彼女達が立ち去った後、役立ちは手を差し伸べるような物的行為援助だけでなく、こうした「見せる」ということもある意味、役立ちだということを実感するとともに、自分という存在が知られ、何かを感じてもらえることは喜びであり、価値ある様に思えた。
 そしてそれは「まいたけ」を立ち上げた機動力にもなっている。
01.03.11


Episodeのトップページに戻る
マラソン大会について

 小学一年の時、学校行事であるマラソン大会に参加した事がある。確か一年生は、グランドを一周して校外を走り戻ってくる2、3キロのコースだったように記憶し、私はグランドを一周するのみとなっていた。
 その頃の私は、走ることは出来ないものの1キロほどの通学路を歩いて登下校し、運動会、遠足といった学校行事はもちろん、プール学習、校外での授業、跳び箱を一段にして跨いだこともあり、子供ながら特別ではない嬉しさを感じていた様に思う。
 スタートラインに着いて一斉に走り出した時、私は人にぶつかり倒れてしまい、起きあがった時には選手の姿はなくグランドのコースにひとり取り残されていた。待機、見学している学年からの「ガンバレー」が聞こえる中、私は泣きながら一周したこと、順位の「位」が消され努力賞と書かれた賞状をもらったことを覚えている。
 TVでマラソンや駅伝なんかを見ていると、つい「オレも走ったなー」と回想してしまい、何処に行ってしまったかがわからない努力賞を頭に浮かべている。
01.01.24


Episodeのトップページに戻る
電話について

 携帯の爆発的な普及でもわかる様に、電話は日常にとけ込んだコミュニケーション手段の一つで、私も当然のことながら活用している一人である。
 ある時、CDの予約注文をしようと思いCDショップに電話をし、私が話しているのに切られてしまった。かなりムッときたが、心当たりが一つだけあった。それは、私のことを「いたずら者」、「変態」に思わられたということだ。

 「もしもし、○○CDショップですか?CDの予約注文をしたいのですが、よろしいですか?」

 と、普通は言い出すと思う。私もその様に言っているつもりなのだが、人工呼吸器で呼吸管理されていることから不規則な息継ぎが出来ない為、、次の様になってしまう。

「もしもしスーハー ○○スーハー CDショップスーハー ですか?スーハー 
CDのスーハー 予約注文をスーハー したいのですがスーハー よろしいですか?スーハー 」
 
 これでは「いたずら者」、「変態」に思わられたとしてもいたしかたなく、もし私という存在を少しでも知っていれば、驚いて電話を切られる事もなかった様に思う。
 それからの私は、人工呼吸器使用で聞き取りにくいことを代弁してもらってから電話先と会話をしている。
01.01.15


Episodeのトップページに戻る
今だから話せること

 今だから話せることだが、「生きる意味がない」と思いながら日々を過ごしていたことがある。
 呼吸機能の不調から私は、90年に人工呼吸器を使うため気管切開をし、これまでとは異なるベット中心の生活となった。こうした生活が訪れることは、同院者にいたということからも予想、覚悟はしていたつもりだった。しかし現実となった時、周りに気づかれない様にしていたが、私の本心は夢も希望もない「絶望」一色だった。
 これまで私は、病気の進行で「出来たことがいつの間にか出来なくなる」体験を幾度もしてきた。その度つらい思いはしたものの、別にまだ出来ることが残されていたため気持ちを紛らわせることが可能だった。その出来ることの数が減り紛らわせるモノもないベットでは、「生きる意味がない」と思うのが精一杯であった。

 その日(95年1月5日)も暗い気持ちの中、夕食後にたまたま見たNHKの「わが分身たち」というTV番組が私を一変させた。
 この番組は、南九州の国立病院に入院されている方と福祉機器を製作する方の関わりを中心に紹介したものである。
 番組の中の入院されている方は、気管切開をしており、自分で動かすことの出来る機能は、指先のわずかな動きだけだった。そんな状態の中、コンピュータの入力装置、TVチャンネル切替機など、自らのベット環境をよりよいモノにしようと考え、福祉機器を製作する方に製作依頼し、それらの機器を活用し生き生きと楽しむ姿があった。

 放送終了後、私はなんだかホッとした。それは、気持ちの置き方一つで明暗どちらにもなるし、希望を持って歩むことは楽しい事だと確認できたからなのかもしれない。情けないことに私は、誰かにオイオイなんか言われながら、背を押してもらいたかったのかもしれない…。
それからの私は、「あきらめ」をやめ「やるだけやろう」に気持ちを変え、ベットライフも「絶望」から「過ごしのいい場」に徐々に変わってきた。

 残念ながらその方は亡くなられ、「ありがとう」が言えなかった。しかし、生前残してくれたトライ精神は、私の心の中でいつまでも生き続けると思う。
01.01.12


Episodeのトップページに戻る