笑顔

 今から4、5年くらい前のこと、医師が何枚かの写真を見せてくれた。その写真はアメリカの病院で撮ったもので、電動車椅子の後部に人工呼吸器を乗せ、口にパイプみたいなモノをくわえて人工呼吸器から送られてくる空気を吸っている方の写真だった。
 医師は写真を見せながら私に、「これをやってみる気はないか?」と言い出してきた。その時の私は人工呼吸器を使っていたものの今のように24時間ではなく、日中、特に電動車椅子に乗っている数時間は自力で呼吸をしていた。しかし、その時間も息苦しさを感じるようになり、ベットで横になって人工呼吸器を使う時が多くなり、周りからも、そして私自身も『そろそろベット』という流れが出来つつある頃だった。
 そうした毎日を過ごしていたこともあり、医師の問いは私にとって朗報であった。「是非、お願いします」と速答したもので少し驚いたようだった。

 前例のないケースということでいろいろなことがあった。乗せ降りの大変さに「そこまでして電動車椅子に乗る意味があるのか?」と問われ、正直辛い思いをしたこともある。しかし、「電動車椅子に乗りたくない」とは一度も思わなかった。それは医師が見せてくれた写真のおかげかもしない。そこにあった飾りのない本当の笑顔があったからこそ私は、電動車椅子に乗ることの喜びを知ることが出来たのかもしれない。
 
 名も知らない異国の人の笑顔。今、私もその笑顔を持っている。

01.11.17


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価値あるとき

 高校生の頃、「ペンを動かす力さえあれば出来る仕事」と楽観過ぎる動機から「モノ書き」になりたいと思っていた。そうした思いもあって高校時代は学校祭実行委員になれぱ「学校祭ニュース」、コンピュータクラブ(一年で退部した)で「PC」、退部後無線クラブに移り「OH!CQ」という校内向けの新聞を創刊した。又、企業や団体から公募される懸賞論文などにも応募し、学業そっちのけで執筆に取り組んでいた。

 高校3年の時、ある大手企業が「あなたが思う大切なものは?」という公募を見つけた。原稿用紙10数枚という今まで書いたことのない枚数だったが「何とかなるさ」の楽観的な考えで応募を決意した。
 ところが「自分にとって大切なモノとは何か?」という自問の日々は続いたものの、いっこうに自答のないまま「あせりといらつき」を感じながら過ごすはめになった。締め切りが近づき「これまでか」と心でつぶやいた時、ふといつもそばにあるノートの存在に気づいた。
 そのノートとは、「ざっきちょう」という、人にはあまり見られたくない感情を記す日記のようなもので、高校に入ってから書き込みを始めているものだ。
 「ざっきちょう」にある喜怒哀楽一つ一つの感情は、着飾っていなく汚らしく見えるかも知れない。しかし、その積み重ねが今の私の姿になっているのはまぎれもない事実である。もし一つでも違うものを重ねていたら、今の私とは違う自分だっただろう…。そう考えると一つ一つの感情がとても大切なものに思えてきた。

 原稿は「価値あるとき」と題し、日記形式で書き込んでいくことにした。
 そして最後にこう記した。

 ○月○日。僕はこの先どうなっていくのだろう。病気だって今より進んで寝たきりになるかも知れない。辛いことや悲しい事ばかりかも知れない。先のことはわからない、ただ僕は今感じる気持ちを大切に歩んで生きたい。それが僕にとって「価値あるとき」だから…



 そして数ヶ月後、ある荷物が届いた。添えてあった手紙には次のように書かれていた。

 (略)全国各地から、お寄せ頂いた1264作品を、1次、2次選考とその都度、絞り込み、貴方の作品は、最終選考30編にノミネートされました。いづれの作品も傑作ばかりでしたが、残念ながら、先にご通知の結果と相成りました。
 当初の懸賞規定にはありませんが、最終ノミネートの貴方には「価値あるとき」にちなみ、貴重な時を刻む時計を、お贈り致します。(略)



 最近、時計の電池を取り替えた。何度目の交換になるだろう…。その時いつも思うことは、「価値あるとき」が今も私の中で刻まれているだろうかという問いである。正直言ってわからない。だが一つだけ言えることは、自分を嫌いになっていない自分がいることだ。
01.05.08


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