平成20年度 養成講座 初日講義より [後編]

次に中途失聴者・難聴者が普段どういった環境で生活し、心理状態でいるのか
をお話ししたいと思います。

配布しました「資料2」をご覧になってください。聴覚障害者がどういった状況で
職場や家庭で過ごしているかを図にしています。
点線で囲ってある部分は聴覚障害者には聞こえていない部分です。
この図のように聴覚障害者には、健聴者なら普通に意識しなくても、耳に入って
くることが「聞こえていない」ということがわかるかと思います。

「聞こえていない」ということは音声の情報がなく、周りの状況がわからない
ということです。 周りからの情報や状況がわからないと、職場などでは
孤立してしまいます。どうしても、対人関係が難しくなります。

話したい気持ちがあっても、おかしなタイミングで話しかけて、KY(空気が
読めない)と思われるのはイヤだと思うようになり、次第にに無口になって
いってしまったり話しかけられても良く聞こえない、聞こえ難いため、笑って
ごまかしてしまいます。
「微笑みの障害」なんていわれます、なんだか悲しいなと思います。

家庭でさえも、その人の聞こえの理解がないと上手くコミュニケーションが
取れません。母子なら何となくわかるんじゃないの?とはいかないんです。

だから、聴覚障害とはコミュニケーション障害とも言える訳です。
先ほどから繰り返していますが、聴覚障害というのは目に見えないので、
健聴者や一般社会には理解されにくいものです。
特に中途失聴者・難聴者は健聴者とほぼ同様に話せますし、場所により
聞き取れる音と聞き取れない音があったりで、 余計に理解されにくいかも
しれません。

それから健聴者には聴覚障害の「追体験」をしにくいというのがあります。
どういうことかというと、資料1を見ていただくとわかると思いますが、人間の
聴覚は耳の穴だけで音を認知しているのではなく、頭の骨の振動からも
行っているので、いくら耳をふさいだところで、高度難聴、特に感音性・混合性
難聴を体験することは出来ません。

それと聴覚障害とはコミュニケーション障害とも言われているのは先に
述べましたが、例えばろう者同士の場合は手話を使って円滑に話し合う
ことが出来ますが、手話のわからない健聴者との場合は 意思の疎通が
困難になります。

さらに、同障者同志でもお互いの意志疎通が困難になります。
軽・中度の難聴者同士で1対1なら補聴器と音声で対応できる場合もあります。
これは場所や体の状態にもよります。高度難聴者でも手話の出来る人は
いますが、相手の難聴者も手話が出来るとは限りませんし、中途失聴者の
場合は読話、「口を読む」ということですが、それも完全ではないし、一朝一夕
にはできません。

難聴者と言っても「聞こえ」さまざまですから、中途失聴・難聴者は可能な
限りの補聴手段を駆使して、コミュニケーションを図ろうとします。
これはトータルコミュニケーションと言います。

ですが、多くの中途失聴者・難聴者が集まって会議などをするときは、
ホワイトボードなどに代わる代わる発言 を書かなければなりません。
これでは時間がかかるので、そこで要約筆記通訳者にOHPやパソコンで
通訳してもらったりします。
そう考えると、要約筆記通訳がいかに中途失聴者・難聴者にとって、大切か
ということがわかっていただけると思います。

こういう状態におかれている中途失聴者・難聴者の心理状態ですが、まず
聴覚障害者は聞こえないのに 音の存在を認識しなければならないという
ことがあります。

どういうことかと言いますと、実際には健聴者と言えども聞いてない音と
いうのは世の中にたくさんあるわけですが、 普段は意識してはいないと
思います。

ですが聴覚障害者の場合、健聴者が聞こえている音がある以上、自分には
聞こえない音が存在するということを、絶えず意識する必要があります。
それで、心理的負担が蓄積しているような気がします。

聴覚障害とはいっても、聴力レベルだけではなく、聴覚障害の発生年齢など
からも、ろう者・中途失聴者・難聴者というように違いがでてくるのですが、
1番の大きな違いは今まであった「聞こえ」が突然あるいは徐々に失われる
という精神的障害の大きさだと思います。

例えば中途失聴などの場合だと聴覚障害者としての生き方を新たに確立
して、社会の中で生きていくことになります。いわゆる「障害の受容」という
ことですが、ほかの中途障害者と同様に、中途失聴者・難聴者にとっても、
障害を受容できるようになるまでは大変な苦労や葛藤があります。

それから難聴が軽度であれば悩みや心理的負担も軽いかというと、必ずしも
そうではないです。私の場合は軽度から高度難聴までを段階的に経験して
きたので、ある程度実感としてわかるのですが、人間というのは、ある能力が
近い方がかえってその差を気にしやすいそうです。
つまりある程度聞こえているために、わからないところや、聞こえない、聞こえ
にてもわかった振りをして返事をしてしまったり、あいまいに笑ってごまかし
たりと、どうしても健聴者の聴力レベルと比較してしまう傾向があるようで、
そこでいろいろな無理が生じたり、そういうことをしている自分に自己嫌悪
したり、不全感を感じて悩むことも多いです。

中途失聴者・難聴者は、健聴者に囲まれて生活していることが多く、同障者と
知り合う機会も少ないため、聴覚障害者としての自分(アイデンティティ)を
確立しにくいといわれます。
特にある日突然に完全失聴された方などは、一般社会に参加することが
困難になるとても危険なアイデンティティの危機ですから、そういう状況を
手助けするのに中失協のような中途失聴者・難聴者の同障者団体の担う
役割は今後も重要なものになると考えています。

最近はストレス性の突発性難聴や、急速な高齢化社会に伴う老人性難聴が
増えてきていますが 特に老人性の難聴は誤解されやすいので注意が必要
だと思っています。

老人性難聴の多くは最初に説明した聴神経が侵される感音性難聴で、耳の
神経全体が衰えていきます。聴覚障害が目に見えない障害のため、呼ばれ
ても返事をしないとか聞こえないために応答の内容がズレているのを、
認知症と誤解されることも少なくないようです。こういった老人性難聴の
実態を家族や周囲が理解して、防がなければならないのですが、周囲の
サポートが少ないのが現状のようです。

ですから、皆さんが聴覚障害者、主に中途失聴・難聴者に確実に意志を
伝えたいとしたら補聴器である程度聞こえているようであれば、ゆっくり
ハッキリ身振り手振りを交えて話すとか、言い方を変えて話す。相手も
自分も手話を知っているなら手話で。
それでも通じないときは筆談で。といった、様々なコミュニケーション手段を
試して一番快適な手段を選んでいただきたいと思います。
そうすれば中途失聴者・難聴者の心理的負担もかなり軽減されると思います。

最後に中途失聴・難聴者に取っての要約筆記の必要性について話したいと
思います。
「要約筆記」という言葉はまだ世間一般にはあまり知られてないです。
でも少しずつではありますが、地道に活動を続けて来られた要約筆記者の
方々や中途失聴・難聴者によって認知が進んできてるのではないかと
思います。

先ほどから「情報保障」という言葉を使っていますが、これも皆さんには聞き
慣れない言葉かもしれません。今、講義の中で使ってる「情報保障」という
言葉の「ほしょう」という字は同音異義語がいくつかあり、わかりにくいかも
しれません。「保障」今スクリーンに出ているのが正解です。意味は「障害の
無いように保つ」と取れますね。

聴覚障害者への「情報保障」とは「聞こえないことでその場に参加でき
ない状態を作らない」ということです。聞こえないということでの情報弱者を
生まないそのための一つのコミュニケーション手段として要約筆記が
あります。
情報保障が何もない場に、聴覚障害者が参加したとしても、それはただ
その場に「居るだけ」で本当の意味での 「参加」ではありません。情報保障が
あって初めて聴覚障害者が「完全に参加」できることになります。

以前、ろう者の方が「手話通訳は私たちの命綱である」と言ってました。
中途失聴者・難聴者にとっての要約筆記にも、同じ事が言えると思います。
「その場に聴覚障害者が一人でも居る場合、その場には音が聞こえて
いない空間が生まれている」。 このことは皆さんが講座終了後、活躍
される場合また通訳以外の場でも常に頭に入れておいていただきたいと
思います。

まとまりのない説明でしたが、深く理解していただくには直接会話するのが
一番わかってもらえると思います。
皆さんのまわりに軽度でも難聴の方や、中途で失聴してしている方が
おられましたら、 手をさしのべてあげてください。そしてぜひ中失協のような
同障者が集まっている団体があることを教えてあげていただければ幸いです。

皆さんが一日も早く要約筆記者として活躍され、通訳の現場でお会いできる
事を心から楽しみにしています。「継続は力なり」です。がんばってください。

<おわり>

※この内容は、講義された方よりいただいた原稿を、本コンテンツ用に
 体裁を再編したものです。